Forget-me-not
とは和訳すると「勿忘草」
尾崎豊の恋愛ソングといえば一般的には
「I LOVE YOU」
「OH MY LITTEE GIRL」
のイメージが強いだろう。
個人的には尾崎の恋愛ソングで一番好きなのはこの曲。
尾崎にハマったのは中3くらいの頃だったかな。
みんなが将来の仕事や、夢に向かって走りだす年頃。
自分は勉強も絶望的にできなかったし、スポーツはそこそこだったが、これといって取り柄のない、言うなれば劣等生だった。
周りの先生や大人に刃を研ぎ振りかざすようになった時期、ちょうど尾崎豊の音楽に触れるようになった。
尾崎豊は当時自分のなかで「反社会的」というイメージがあり、その頃の自分と重ね合わせることによって心の拠り所にしていた存在だ。
この歌はそんな頃に出会った。
「小さな朝の光は」という言葉から始まるイントロはまさにそれと感じさせるもの寂しいメロディラインでスタートする。
「疲れて眠る愛に溢れて」
この歌詞はもう尾崎っぽさマックスって感じ。
パトラッシュを彷彿とさせる、今にも天国に行ってしまいそうな寂しさを感じさせる。
「幸せかい?昨晩のぬくもりにそっとささやいて強く君を抱きしめた」
幸せかい?って言葉で確認しちゃうところが尾崎豊の心配性というかそういった人柄の部分を感じさせる。
ちなみに歌詞というのは個人的に「フィクション」であり一種の「ストーリー」として基本的にはみているのだが尾崎の曲に関しては尾崎そのものの「人生」という風にみているので今回の考察についてはちょっと趣旨と違う感が出るかもしれないがそこは勘弁してほしい。
「僕の胸でおやすみよ。二人の人生分け合い生きるんだ」
その直後の歌詞で
「愛の行方に答えはなくて いつでも独りぼっちだけど」
二人の人生を分け合っているはずなのにひとりぼっちというワードがでてくる。
矛盾しているように見えるこの歌詞も尾崎のどこかピュアで歪で複雑な感情が垣間見える。
普通に考えると愛し合っている二人がいる。幸せなことだ。しかし尾崎の場合どこか哀しく、切なさが溢れ出している。
これは尾崎豊のバックボーンがひっそりと顔を覗かせる歌詞だと思う。
自分は実際に尾崎豊と会ったことはないし、ましてや尾崎を世代的にリアルタイムでテレビで見たことすらない。ただ尾崎豊の歌は尾崎豊そのものを映し出している気がして、聴いているとなんとなく尾崎豊という人間に触れている錯覚に陥る。
「時々僕は無理に君を僕の形にはめてしまいそうになるけれど」
この歌詞からも尾崎豊の不器用だけど、真っ直ぐでどこか脆い部分を感じとることができる。
「幸せかい?狂った街では二人のこの愛さえうつろい踏みにじられる」
狂った街→自分の恋路を邪魔する周り
踏みにじられる小さな勿忘草→尾崎豊
周りに許容されない恋。
切ない。
「初めて君と出会った日僕はビルの向こうの空をいつまでも探してた」
「君が教えてくれた花の名前は街にうもれそうな小さなわすれな草」
ビル→日常的な社会
向こうの空を探してた→そこから逃れようと奔走する様
忙しない日常から少しでも逃げたくて、埋もれてしまいそう。そんなときに出会った"君が"唯一の拠り所だった。
幸せそうで、どこか寂しげな恋模様を想像させる、尾崎豊ならではといった恋愛ソングだ。
ちなみにタイトルの勿忘草の花言葉は
"僕を忘れないで"